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東京地方裁判所 昭和39年(ワ)7009号 判決

原告 中島慶郎 外三名

被告 明北興業株式会社

主文

1、被告は、原告中島慶郎に対し金二八六万円、原告中島久恵、同中島佐記、同中島千寿子に対しそれぞれ金一七九万円および右各金員に対する昭和三九年八月八日から各完済に至るまで、年五分の割合による金員を支払え。

2、原告らのその余の請求を棄却する。

3、訴訟費用はこれを五分し、その二を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。

4、この判決の原告勝訴の部分は、仮に執行することができる。

事実

第一、当事者の求める裁判

一、原告ら「被告は原告中島慶郎に対し金七七一万八八四四円、原告中島久恵、同中島佐記、同中島千寿子に対しそれぞれ金四九七万九二二九円および右各金員に対する昭和三九年八月八日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決および仮執行の宣言。

二、被告「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決。

第二、原告らの請求原因

一、事故の発生

昭和三九年五月三日午前六時頃、東京都千代田区一番町一番地先の、九段上方面から半蔵門方面に通ずる道路と一番町方面から乾門方面に通ずる道路とが交わる交差点(通称一番町交差点、以下本件交差点という。)内において、九段上方面から半蔵門方面に向け直進する訴の取下前の被告唐沢友一(以下唐沢という。)運転の大型貨物自動車神一な八五八五号(以下被告車という。)の前面が、一番町方面から乾門方面に向け直進する訴外三富満(以下三富という。)の運転する普通乗用自動車第五め六八〇三号(以下原告車という。)の左側面に衝突し、このため原告車は大破してその後部座席に乗車していた訴外中島孝子(以下被害者という。)は頭蓋底顔面挫 により即死するに至つた。

二、被告の責任

被告は被告車を所有して、これを自己のため運行の用に供していたものである。よつて被告は被告車の運行により惹起された右事故に基づく被害者の死亡による損害を賠償する責任がある。

三、損害

(一)  被害者の得べかりし利益の喪失

被害者は当時、原告中島慶郎(以下原告慶郎という。)と共同して、千代田区神田駿ケ台に「レストラン招仙閣」千代田区有楽町に「招仙閣」の各店舗をもつて飲食店業を営んでおり、この営業名義は原告慶郎になつていたが、昭和三七年一一月に原告慶郎が脳卒中のため身体が不自由になつて以来、右の経営の大部分は被害者がこれを担当し、原告慶郎は療養のかたわらこれを手伝う程度であつた。従つて右営業による利益は被害者の労力に負うところが極めて大きく、被害者の右営業の共同経営者としての当時の収入は右の営業収益の二分の一とみることができるところ、昭和三八年度における右営業による収益は金三五〇万八七三〇円であつたから、当時の被害者の収入はその二分の一の金一七五万四三六五円であつたということができる。被害者は当時満三八才(大正一四年九月一六日生れ)の女子であり、昭和三五年度簡易生命表による同年令の女子の平均余名は三九・六五年であるから、本件事故に遭わなければ被害者も右と同程度生存しえて、満六五才までの二七年間はなお右と同額の収入を得るはずであつたところ、本件事故のためこれを失つたものというべきである。そこで右収入を右の稼働期間の最後に一括して得るものとして、本件事故による死亡時からそれまでの年五分の割合による中間利息をホフマン式計算方法により控除して、死亡時におけるその一時払額を求めると金二〇一五万六五三三円となり、本件事故により被害者は被告に対し同額の損害賠償請求権を取得したものである。

そして原告慶郎は被害者の夫として、その余の原告らはいずれもその子として、原告慶郎は三分の一、その余の原告らは各九分の二の各相続分をもつて、相続により被害者の有する権利を承継したから、被害者の右請求権のうち、原告慶郎はその三分の一の金六七一万八八四四円の、その余の原告らは各その九分の二の金四四七万九二二九円の請求権をそれぞれ承継取得した。

なお被害者の生活費は、その収入の三分の一を上廻らないはずであつた。

(二)  原告らの慰藉料

原告慶郎は被害者と昭和二三年に結婚し、以来苦楽を共にしながら、前記の営業を築いてきたものであり、その間にその余の原告ら三名の子をもうけて家庭生活にも恵まれまた前記のとおり脳卒中により身体が不自由になつて以来被害者の手厚い看護を受けてきたものであつて、本件事故によりそのよき伴侶を失つた精神的苦痛は甚大である。

原告中島久恵、同中島佐記、同中島千寿子はいずれも被害者の子で、未成年者であり、被害者の愛情の下に育まれる過程にあつたものであつて、本件事故により母親を失つた精神的苦痛も多大である。

原告らの右苦痛を金銭をもつて償うためには、原告慶郎において金一〇〇万円、その余の原告らにおいて各金五〇万円の支払いを受けるのが各相当である。

四、従つて被告は、原告慶郎に対し前項の合計金七七一万八八四四円、その余の原告らに対し同じく合計金四九七万九二二九円および右各金員に対する訴状送達の翌日である昭和三九年八月八日から各完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。よつて原告らは被告に対し右各金員の支払いを求める。

第三、請求原因に対する被告の答弁

一、請求原因第一項の事実は認める。

二、同第三項の事実はいずれも争う。

第四、被告の抗弁

一、免責の主張

被告車が九段上方面から本件交差点に進入した際、九段上方面から半蔵門方面に向う車両の進行を規制する信号機は青信号を現示しており、従つてこれと交差する原告車の進行を規制する信号機は赤信号を現示していた。被告車の運転者唐沢はこの青信号に従い本件交差点に進入したのに対し、原告車の運転者三富は右赤信号を無視して本件交差点に進入して被告車の進路に突入し、よつて本件事故が惹起されたものである。

また仮に原告車の進行万向の信号が、原告車が本件交差点に進入する直前に青信号に変つたのであつたとしても、被告車は原告車より先に既に交差点内に進入していたのであり、原告車の運転者三富としては、このように信号が青信号に変つた直後において、既に交差方向から交差点内に進入した車両がある以上、減速、停止などの措置をとつてその車輛の通過を待つてから進行し、もつてこれとの接触を回避すべきものであるところ、三富はこの注意義務を怠り、被告車の進路前方を通過しうるものと軽信して漫然と進行し、よつて本件事故に至つたものである。

従つていずれにせよ唐沢には本件事故につき何ら過失はなく、他方三富には右のような過失があるところ、被害者は、原告慶郎との共同経営による事業のため三富を使用していたものであり、しかも本件事故当時三富の運転する原告車に同乗していたのであるから、被傭者たる三富がその運転に当り注意を怠らないよう充分監督すべき義務があるのに、これを怠つて、右のような三富の過失を放置していたものであり、これは被害者の過失というべく、本件事故は専ら三富および被害者の右各過失に基づくものというべきである。

また被告は被告車の運行管理、唐沢の選任監督等につき注意を怠らず、被告車は新車購入後約七ケ月を経たばかりであり、当日も出発前唐沢がこれを点検しており、被告車には何ら構造上の欠陥、機能の障害はなかつた。

よつて被告には、本件事故に基づく損害を賠償すべき責任はない。

二、過失相殺

仮に前項の主張が理由がないとしても、本件事故の原因の一半は前項記載のとおり被害者の過失にあつたから、被告が賠償すべき額の算定につき、この過失を斟酌して、減額すべきである。

第五、抗弁に対する原告らの答弁

抗弁事実はいずれも否認する。三富は、本件交差点の手前で、原告車の進行方向の信号が青信号に変つたのを確認して本件交差点に原告車を進入させたところ、九段上方面から進行してきた被告車がその進行方向の信号機の赤信号を無視して本件交差点に進入し、よつて本件事故を惹起したのである。

第六、証拠〈省略〉

理由

一、請求原因第一項の事実は当事者間に争いがなく、同第二項の事実中、被告が被告車を所有し、これを自己のため運行の用に供していたものであるとのことは被告が明らかに争わないものと認め、これを自白したものとみなす。

二、免責の抗弁

被告は、被告車が本件交差点に進入する際、その進行方向の信号機が青信号であつた旨主張するので、まずこの点について判断するのに、いずれもその方式および趣旨により公務員が職務上作成した書面と認められるから真正な公文書と推定すべき甲第八、第九号証、甲第一〇号証の一、甲第一四号証および証人三富の証言を綜合すると、到底被告の右主張を認めることはできず、他にそのように認めるべき証拠はなく、右各証拠によると、むしろ逆に原告車が本件交差点に進入する際にその進行方向の信号機が青信号を現示していたのではないかと窮われるのであり、そうとすれば被告車が本件交差点に進入する際のその進行方向の信号機は赤信号であるかせいぜい黄信号であつたことになる。(前出甲第一四号証により認められる原、被告車の本件交差点進入地点から衝突地点までの各距離関係、被告車の前面と原告車の左側面とが衝突したのであることおよび被告車の進行方向の信号機が青信号から赤信号に変るまでの中間に黄信号の現示期間が四秒間あることなどを考えると、被告車が青信号で本件交差点に進入し、その後原告車の進行方向の信号機が青信号に変つてから原告車が本件交差点に進入して、本件事故に至るということはまず考えられないところである。)従つて結局本件事故に関し唐沢に過失がなかつたことはこれを肯認できないことに帰し、被告の免責の抗弁は、他の争点につき判断するまでもなく、採用できない。

よつて被告は被告車を自己のための運行の用に供する者として、被告車の運行により惹起された本件事故に基づく後記損害を賠償すべき責任がある。

三、過失相殺

被害者が原告慶郎と共同して飲食店業を営んでいたことは後に認定するとおりであり、前出甲第一〇号証の一および証人三富の証言によれば、三富は当時右事業のボーイ兼運転手として雇傭されていたものであることが認められ、これによれば被害者は三富の使用者として一般的にはその運転業務の執行につきこれを監督すべき立場にあつたものということができ、また本件事故当時被害者が三富の運転する原告車に同乗していたことは当事者間に争いがない。しかしながらそうであるからといつて、三富が右の業務として原告車を運転するに当り、被害者が三富の個々の運転操作についていちいちこれを指示命令すべき立場にあつたことにはならないことはいうまでもないから、三富に過失があつたとしても、これを被害者が制止しなかつたことが直ちに被害者自身の過失となるとはいえないし、また日常被害者が三富の自動車運転業務の執行につき監督義務を怠つていたと認めるべき証拠もない。従つて本件事故に関し被害者自身に過失があつたとは認められない。

しかし、被告は、三富の過失を前提として、これに関する被害者の使用者としての監督義務を云々しているのであるから、必ずしも被害者自身の過失に限定して主張している趣旨ではなく、被害者が三富の使用者であるとの関係から、三富の過失も結局被害者側の過失としてこれを賠償額の算定につき斟酌すべきことをも主張している趣旨と解すべきであるら、以下この点につき判断する。

前出甲第一〇号証の一、二、甲第一四号証および証人三富の証言によれば、三富は原告車を運転して時速三〇ないし四〇粁の速度で一番町方面から本件交差点に差しかかつた際、その進行方向の信号機の現示が何であつたかはさておき、本件衝突地点(本件交差点のほぼ中心点)の手前約九米の地点において、右衝突地点から約一七、八米九段方面寄り(原告車の進路左方)の位置に本件交差点に進入してくる被告車の存在に気付いたのにかかわらず、そのまま同一速度で進行し、よつて本件事故に至つたものと認められるのであるが、このように交差方向から交差点に進入してくる被告車を認めた場合には、自己の進行方向の信号機が青信号を現示していたとしても、一応被告車の進行状況、速度等に意を払い、もし被告車がそのまま進行する様子を察知すれば、一旦減速ないし停車して被告車を先に通過させ、もつてこれとの接触を避けるべきものというべきであり、右事実によれば三富にはこの注意を怠つた過失があり、これも本件事故の一因となつたとみることができる。そして前認定のとおり、被害者は三富の使用者であり、被害者(もしくは被害者と共に三富の使用者である原告慶郎)が三富の自動車運転の業務の執行につき監督義務を怠らなかつたと積極的に認めるべき資料もないのであるから、民法第七一五条第一項の立法の趣旨を敷衍して考えれば、結局三富の右過失は、被害者側の過失として、被告が被害者および原告らに賠償すべき損害額の算定につき斟酌するのが相当というべきである。

そこでその斟酌の度合について考えるのに、原、被告車の本件交差点進入時の各信号機の信号の現示如何につき当事者間に争いがあるところ、原告車が本件交差点に進入する際のその進行方向の信号が青信号であり従つて被告車の進入時のその進行方向の信号が赤信号ないしせいぜい黄信号であつた可能性を否定しえないことは既に示したとおりであるから、この点については、被告に不利な事実を前提とするのほかはなく、(本件においては、被告の損害賠償責任の根拠が自動車損害賠償保障法第三条にあり、従つて被告は被告車の運行供用者として、被告車の運転者の無過失および被害者または第三者の故意過失を立証しない限り賠償責任を負うという法律構成になつているのであるから、被告が被害者側の過失を立証できた限度においてこの過失を斟酌して賠償額の減額をなすべき過失相殺の場面において、被告車の運転者の過失と被害者側の者の過失とを比較するに際し、その双方の過失判断の前提となるべき具体的事実に関しいずれとも心証のとれない部分が存するときは、その部分を除外して心証のえられた事実のみを比較して過失の割合を定めるべきものではなく、この部分に関しては右のとおり帰責、過失相殺の両面で共に立証責任を負担する被告に不利な事実を前提としてこれを定むべきものと解すべきである。)そうとすれば原告車は青信号で従つて被告車は赤信号ないしせいぜい黄信号で交差点に進入したことを前提として、双方の過失の比率を考えなければならない。そうすると三富と唐沢との各過失の割合は、これを概ね三富の過失二に対し唐沢のそれを八と見るのが相当というべきものである。

四、損害

(一)  被害者の得べかりし利益の喪失

いずれもその方式および趣旨により公務員が職務上作成したと認められるから真正な公文書と推定すべき甲第三、第四号証、甲第五、第七号証の各一、二、証人小沢俊夫の証言により真正に作成されたと認められる甲第六号証、証人小沢俊夫、同岡田忠正の各証言および原告慶郎本人尋問の結果によると、原告慶郎と被害者とは協力して昭和二五、六年頃から、千代田区有楽町に「招仙閣」なる名称の店舗をかまえて飲食店業を始め、次第に規模を拡げて、その後お茶の水(千代田区神田駿河台)にも「レストラン招仙閣」なる名称の店舗を設け、本件事故当時は有楽町の店舗に八名位、お茶の水の店舗に一五、六名の店員を雇傭して、これを営業していたこと、右両店舗の所有権およびその営業名義はいずれも原告慶郎に属していたが、右営業開始以来、被害者においても同原告と共にその経理、従業員の監督等の業務執行に携わり、特に昭和三七年暮頃に同原告が脳卒中により病床についてからは、右業務執行の大半を被害者が担当するに至つていたこと、同原告の病状は漸次回復し、被害者の死後の昭和三九年夏頃からは多少右業務執行に当ることができるようになつたものの、現在においても未だ十分ではないこと、右営業による昭和三八年度(昭和三八年四月から昭和三九年三月まで)の収益は金三五〇万八七三〇円を下らなかつたことをいずれも認めることができ、右事実によれば、当時右営業の名義は原告慶郎個人であつたものの、被害者においても、右経理、監督等の業務執行の労務を提供する形で、同原告と共同してその経営に参画していたものとみるのが相当というべきであり、また右事実により被害者が本件事故に遭わなければ原告慶郎の病状から推して後に認定する被害者の稼働期間を通じて被害者の右業務執行に占める比重は相当大きいであろうと推認されることとその反面公知の事実である飲食店業における収益性はその店舗等物的施設の立地条件等に依存する度合いが大きいことその他右の一切の事情を綜合して考察すると、その稼働期間を通じての被害者の共同経営者としての収益部分は、右営業による全収益の略三分の一をもつて相当と認めるべきであり、(右昭和三八年度の事業収益を基準とすると約金一一六万九五七六円となる。)よつて被害者は本件事故に遭わなければ、将来も年間金一一六万円を下らない収入を得たであろうと推認される。ところでその方式および趣旨により公務員が職務上作成した書面と認められるから真正な公文書と推定すべき甲第二五号証によると、被害者は本件事故当時三八才(大正一四年九月一六日生れ)の女子であつたと認められるから、第一〇回生命表による満三八才余の女子平均余命が三三・六一年以上であることから推して、被害者も本件事故に遭わなければ右と同程度生存しえ、右業務の性質から考えて少なくとも満六〇才までの二二年間は毎年右の収益を挙げたであろうと推認される。(なお証人小沢俊夫の証言および原告慶郎本人尋問の結果によると右営業は昭和四一年初め頃に会社組織になつたことが認められるが、前示事実に鑑みるときは、その際には被害者も社員としてこれに参画することが必定とみるべく、その地位において得らるべき役員報酬その他の収益は、概ね右と同程度の金額と推認されるから、このことは何ら以上の認定の妨げとならない。)

一方右収益をあげるに必要な被害者の生活費は、原告らの自認する被害者の収益の三分の一を越えるとみるべき証拠はない(原告慶郎は、被害者が昭和三八年当時、自分自身のために毎月金五万円ないし六万円を出費していた旨供述するが、その供述の趣旨からみると、その全てが被害者の生活費とみるべきものとは考えられないから、これをもつて被害者の生活費の基準とすることはできない。)から、右収益からこれを差し引いて年毎の純益を算出し、この稼働期間を通じての全額を稼働期間の末日に一括して得るものとして、ホフマン式計算方法により本件事故による死亡時からの年五分の割合による中間利息を控除し、もつて死亡時における一時払額を求めると金八一〇万一五八七円(円未満切捨)となることが計数上明らかである。

よつて被害者は本件事故に基づき同額の得べかりし利益の喪失による損害を蒙つたというべきところ、前認定の三富の過失を斟酌すると、このうち被告が賠償すべき金額は、その八割弱に当る金六四八万円をもつて相当と認められ、被害者は被告に対し同額の損害賠償請求権を取得したというべきである。そして前出甲第二号証および原告慶郎本人尋問の結果によると、原告慶郎は被害者の夫、その余の原告らは被害者の子として、原告慶郎において三分の一、その余の原告らにおいて各九分の二の各相続分をもつて被害者の有する権利を相続により承継取得したことが明らかであるから、原告慶郎は被害者の右請求権の三分の一の金二一六万円、その余の原告らは各々その九分の二の金一四四万円の請求権をそれぞれ取得したことになる。

(二)  原告らの慰藉料

前項認定の事実に前出甲第二号証および原告慶郎本人尋問の結果を綜合すると、原告慶郎は昭和二三年に被害者と婚姻し、爾後被害者と協力して前認定の営業を築いてきたこと、被害者との間にその余の原告らの三子をもうけて安定した家庭生活を営んでいたこと、同原告が昭和三七年暮に脳卒中で病床に就いて以来は被害者の努力によつて右営業を維持してきたこと、同原告を除くその余の原告らはいずれも被害者と同原告の子であり、当時未成年者であつたことが認められ、右事実によれば原告らは被害者の本件事故に基づく死亡により甚大な精神的苦痛を蒙つたものと認めるべく、右各事情と前認定の本件事故の態様等諸般の事情とを勘案し、さらに前認定の三富の過失を斟酌すると、右の苦痛を償うべき原告らの慰藉料として、被告に賠償を求めうべき金額は、原告慶郎において金七〇万円、その余の原告らにおいて各金三五万円をもつて相当と認められる。

五、以上により、被告は、原告慶郎に対し合計金二八六万円、その余の原告ら各々に対し合計金一七九万円および右各金員に対する損害の発生の後であること明らかな昭和三九年八月八日から各完済に至るまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるものというべく、原告らの本訴請求は右の限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当として棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 倉田卓次 浅田潤一 浜崎恭生)

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